国母としての彰子 操り人形からどうやって道長を超える力を付けた?【光る君へ】

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彰子は息子が即位したからといって、当初は妍子が三条天皇との間に皇子を儲ければ、道長が妍子の皇子を優遇する可能性に脅かされていたため、道長に頼り切りになることはできませんでした。
この危機感こそが、道長とは距離のある実力者 実資との連携などに繋がったと見られており、将来を見据えて次々と手を打つ中で、大局的な視点も身につけていきます。
こうして培った実力があって、はじめて国母として独自の力を発揮できたのであり、道長の上に立つ偉大な国母となっていきました。
今回は、一条天皇を失い孤独に追い込まれる中で、彰子が自ら努力して実力を身につけ、道長をも凌駕する存在となっていく様子について紹介します!
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参考文献
服藤早苗『藤原彰子 (人物叢書)』
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榎村寛之『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』
https://amzn.to/3Z1jfhk
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【画像引用】
大河ドラマ光る君へ公式サイト

【目次】
1:23 三条天皇時代の彰子
7:40 摂関家における隆姫女王
12:44 道長を超えた彰子

#光る君へ #彰子 #藤原道長 #大河ドラマ

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